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B-room(びーるーむ) 発生 投稿動画など数えるほどしか無かった、ニコニコ動画のガンダムウォー動画に突如として現れた。 当初、一人でプレイしてみた。という動画はすでに1名他のプレイヤーがうpしていたのだが、それに触発され…… 一つ目を"A"とするなら、自分は二つ目なので"B"。その部屋なので"B-room"と名付けると本人が記している。 しかし、その本当の意味は「Benime no Roki」を縮めていくと「BR」になり、それとの併用で「B-room」となる。 また、それ以前にオルト日記のタイトルが「紅眼ROOM」であった点からしても「B」は「Benime」の略である可能性を察した人もいるだろう。 最初に投稿された動画は言葉もBGMも無く、無言でテーブルの上で一人プレイを行うというものであった。 デッキは白中と当人オリジナルの5色輝くという動きの分からないデッキで観覧者の注意を引いた。 この手の挑戦にありがちな批判や避難の声が最初は飛び交っていたが動画が進むにつれて次第に歓声に変わる。 最初の投稿動画は3000再生を超え、コメントも500近くついている。 後に "言葉無きカリスマ" "非言語的コミュニケーション" "手つきがイケメン" "ピシピシ動画" などのタグが付けられる。 独特の手の動き(キレ)が際立っていた上カード捌きにピシピシと激しい音を鳴らしていたのが由縁であろう。 そこから数日間、連続で動画がアップされ多くのブログで取り上げられる。 批判的なコメントもじょじょに消えるようになり、やがて「待ってたよー」など歓迎の言葉が立ち並ぶ。 その後、一か月毎に大体二つの動画をupするようになり安定した人気と観覧者の心を掴んで行く 10回目の更新を終えた辺りで動画のコメントに「up主はブログを書くべき」という書き込みがあり そのタイトルである【B-room】でblog活動が始まる。 ニコニコ動画を見ていたプレイヤー達が多く来た為、ブログでアクセス解禁を行っていたが最初の頃から100以上のヒット数があった。 そのままデッキの考察や、新しい動画に対するコメント等、幅広く優良ブログとして躍進を遂げる。 隔離でも安定したプレイヤーとして定評もあり、批判的な意見はすぐに消えて行った。 同時にニコニコ動画界にガンダムウォー動画を投稿するブーム的なものが発生し今では多くの動画が投稿されている。 残念ながら第一人者(パイオニア)では無いが、間違いなく火付け役はB-roomと名乗った彼である事は言うまでもない。 中期 B-roomは緑単中速というデッキに着目し、自身のブログでもそのデッキの動きについて良く考察を行っていた。 B-room発生後初の公式大会、名古屋CS2008において当人は緑単中速を使用、決勝卓にまでのぼりつめるが当時最強と謳われたシャアデッキに敗北。 結果として6位で予選突破を果たし、その安定した存在感とクオリティを多くのプレイヤーに見せつけた。 さらに続くCS2008後期では青赤00というデッキを逸早く持ち込み参戦するも、ノーユニットのコントロール系に多く当たったらしく結果を残していない。 その数カ月後、青赤00というデッキは一生を風靡する最強のデッキとして名をあげる。レシピは分からないがOガンダムが採用されていたという記録はあり もしかすると、鬼神の如き青赤00の試作段階のデッキを持ち込んでいたのかもしれない。と言われている。 mixi内でこの事を語る紅眼Rを見た人間が謀判し、隔離に「B-room = 睾丸」「mixiに紅眼ROOMというトピ」があるなど内部情報を漏らし出す。 みんなの記憶から消えていたであろう紅眼のROKIのブログの書き回しに似ている事などから、本人という仮説が立てられた。 本人と断定する発言は、まだ見られていないが……特に否定の言葉も無いところから間違いないとされている。 そのことが明るみになってきたからかどうかはわからないが 【B-room】は人気絶頂で迎えた1年目に丁度ブログを閉鎖しその活動を終えている。 再臨 1年間の活動期間で失踪したが その半年後、突如ニコニコ動画に【B-room】名義で二つの動画がアップされた。 タグには逸早く「名古屋CS優勝者」「紅眼のROKI」「隔離ランカー」などと言った情報タグが付けられた。 2009年7月中旬にupされたその動画以降、新しい動画は更新されていない。 またSkypeで「bagz_far_roki」と検索すると「B-room」という表示名の人物が現れる事から 本人は間違いなく断定されたものとして扱われている。 Webカメラを入手したらしく、ネットで対戦した。などの声も時々耳にする。 再臨2 "ニコニコ生放送" 2010年2月26日、突如としてニコニコ生放送に生主として再臨を果たす。 【B-room】の再臨にGWニコニコ界に激震が走る。 3/2…100人達成 3/5…150人達成 3/7…200人達成 3/9…250人達成 3/13…300人達成 3/17…350人達成 3/29…400人達成 4/6…450人達成 4/20…500人達成 5/9…550人達成 5/27…600人達成 わずか3ヵ月でコミュメンバー600人を確保する人気は健在。 さらに動画投稿時には言葉を一切発しず"言葉無きカリスマ"などと呼ばれていたが 現在ニコニコ生放送においては言葉を発している。 また毎日のように放送されている為、フルタイムでガンダムウォーに関わる事が出来る。 同時に彼がニコ生を開始した事により一気にGWニコ生界に客気が溢れ、生主が大量に増えた。 現在でもそのカリスマ性が健在である事が簡単に証明された。 6/4…650人達成 6/16…700人達成 6/25…Lv25達成 7/4…750人達成 8/8…800人達成 放送開始わずか4ヵ月でLv25に達するという快挙。 通常1~2年放送を続けていても達成できていない放送は数多い。 カードゲーム単体の放送の中で随一の規模と成長率を誇っている。 停滞 "ニコニコ生放送" 2011年4月から就職の為、引っ越した先のマンションでニコニコ生放送が不可能となった為、放送は行われていない。 それでも実家に帰った際には、ニコニコ生放送が行われ。密かにリスナーを集めている。 マンションも光回線をつなぐ事でニコニコ生放送が行えるらしくリスナーは今か今かと待ち望んでいる。 普通生活において一社員として働く彼も 1000人の国民を持つ、とある国の王様なのである。 復活 "ニコニコ生放送" 12/10…850人達成 3/27…900人達成 2011/10/18…1000人達成 引越しを行ってからネット回線が繋がるまでの半年間は人数が増えなかったが ニコ生に復帰しからは一月たらずで最後の100人を獲得し、1000人のコミュメンを抱える放送となる。 それと同時に、放送はクローズ化され本人曰く「ひとつの目的は終わらせた」と語っている。 TCG放送とは高い人気を誇っているが リスナーが主を恐れ凸者が減るという自体が発生している。 又、果敢にも何度も凸をする者もいるが根本的に10年の歴史を持つプレイヤーにはそう簡単には勝てない。 初見凸者の勝率は5%を下回っている。 現在も放送時間は限られているが絶賛、放送中である。
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